「世界で最も格好良い男」とジョンレノンに言わしめた革命家チェ・ゲバラとGMTマスター

本名「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ」1928年6月14日にアルゼンチンの裕福な家庭に生まれました。2歳の時に重い喘息にかかり両親は健康に気づかいより環境のいい場所に数回転居しています。しかし本人はラグビーなど激しいスポーツが好きでしばしばプレイ中に発作を起こして酸素吸入器を使用してはプレイに戻っていたそうです(笑)中南米各地をオートバイで放浪して見聞を広めていくうちに社会の許されざる矛盾に気づき独自のヒューマニズムによってこれらの改善をすべく具体的な行動にでます。彼は中米・グアテマラなどをさまよった後、1955年メキシコに亡命。そこで同じ理想をもった「フィデル・カストロ」と出会いました。

翌年キューバに向かい、熾烈なゲリラ戦を繰り広げた後、かの有名なキューバ革命を達成しました。そして再び革命実現の旅へと出ます。アフリカを経て南米に渡り、ボリビアへ入る1967年に政府軍に捕えられ銃殺されてしまいました。

享年39歳という短い人生でした。誰よりもよく行動し、革命達成後も喘息を抱える身でありながら寝食を忘れて公務と勉学に励んだという。しかし、自己に課す厳格な規律を周囲の者にも求めたため、閣僚だった当時の部下からは「冷徹、尊大で、まるで我々の教師であるかのように振る舞う」と囁かれ、必ずしも好意は持たれていなかったとされる。ゲリラ軍に志願して来た農民にも、資格として読み書きが出来る成年者である事を最低限要求し、条件を満たさない者はどんなに熱意があろうと容赦なく切った。一方で民衆からはその勤勉ぶりを褒め称えられ、絶大な人気を得ていた。フランスの作家レジス・ドブレは、革命軍に帯同した際のゲバラの印象を「好感は持てないが、驚嘆に値する人物」と評した。他にもジャン=ポール・サルトルから「20世紀で最も完璧な人間」、ジョン・レノンには「世界で一番格好良い男」、カストロには「道徳の巨人」「堅固な意志と不断の実行力を備えた真の革命家」と評された。逆に(当然ながら)親米・反共主義の諸国・人々の間では評価されていない。

「2つ、3つ、もっと多くのベトナム(反帝国主義人民戦争)を作れ」という彼の言葉に象徴されるように、武力闘争を圧政から逃れる唯一の道と断じ、アウグスト・サンディーノらの過去のゲリラ戦争をよく研究してゲリラ戦の手引き書である『ゲリラ戦争 (La Guerra de Guerrillas)』(1960年)を著した(しかし、その『ゲリラ戦争』においてすら「平和革命と選挙による変革の道は可能性があるのなら望ましいし追求するべきだ。しかし、現在の条件のもとではラテン・アメリカのどの国においてもそのような希望は実現されることはありそうもないと思われる」と情勢規定している)。また理想主義者でもあり、工業相時代にキューバ国民の労働意欲の低さを目の当たりにし、「共同体のために尽くし、労働を喜びと感じる『新しい人間』」の育成を目指し、その出現を国家展望の下敷きとした(狭義でのゲバラ主義はこれにあたる)。しかしキューバに招聘されたソ連・ヨーロッパの左翼学者達からは「理想論に過ぎる」と反発を招くとともに、現実的な政治路線を目指すキューバ新体制の中で、徐々に彼を孤立させる遠因となった。彼の直接行動主義と理想主義は、前者は一面として「戦禍を撒き散らす男」のイメージとなって各国に広まり、後年彼自身のゲリラ闘争の障害となった。一方で後者は彼の自己犠牲的な行動力と相俟って、「清廉で理想に燃えた革命家」としての肯定的なイメージを作り出す要因ともなった。ゲリラ戦で時間は最も重要。その信頼を勝ち取ったのがロレックスのスポーツモデル。