CASIOカシオ G-SHOCK 誕生の裏側

たとえ、オートバイやトラックにひかれても壊れないタフな腕時計、G-SHOCKが発売されたのは33年前のこと。以来、発売されたモデル数は数百種類。現在でも若者を中心にヒットし続けている、ロングセラー商品です。
G-SHOCKの開発の中心的な役割を担ったのが、当時デジタル時計などの設計、開発に携わっていた伊部菊雄氏です。ヒントはささいな出来事にあったそうです。
「あるとき、会社の廊下ですれ違いざまに人にぶつかった拍子に、時計が床におちてきれいにバラバラになったんですね。それを見たときに、感動に近い思いを感じたんです。初めて、時計って壊れるんだと思った。なぜなら、それまで時計が破壊されるのをみたこともなければ、時計が壊れるという概念すらなかったからです」
だからこそ厳しい環境でも壊れない丈夫な時計を作りたいと伊部氏は思ったそうです。しかし、当時の時計は薄型全盛の時代。いかに薄くするかということに主眼が置かれていたときに、構造上、どうしても分厚くならざるを得ないタフな時計を作ることは、明らかに時流に逆行していた。伊部氏の希望が通ったのは、エンジニアが開発したいテーマを提案し、それを開発することが許される土壌、社員育成システムがカシオに根づいていることに拠るところが大きかったようです。
こうして昭和56年の春、G-SHOCKの開発がスタート。当初の担当は伊部一人。最初は伊部氏は簡単に作れるのではないかと考えていたそうです。
「バラバラに壊れるということは、逆に考えると時計をガードしているプロテクター的な部分を強化すればこわれないんじゃないか。そう、単純に考えていたんです」ところが開発をすすめてすぐに、伊部氏は予想よりはるかに難しいことにきづいたそうです。実験現場となったのは、3階のトイレ。ここを選んだのは、時代逆行するものをつくるわけだから、あまり、、めだつところではやりたくなかったということと、ちょうど地面までの高さが10メートルだったそうです。また、3階のトイレの窓から、時計を落とすという原始的な方法にこだわったのは、実際に腕からはずれて地面にぶつかるという状況を、装置で再現することは不可能だと考えたからだそうです。ならば、より現実に即した方法で確かめたかったようです。
伊部氏は基本的な構造、どれだけプロテクト部を強化すればよいかを決めるために、時計の周囲にゴムをまいて落とす実験を開始。ひと巻したものを落下させ、損傷しているかを確かめる。壊れていたら次は2巻きして落とす。その繰り返しが続いたそうです。
「次第に事の重大さにきついていきました。なかなか、落としてもこわれない状態にならない。そのうちソフトボールくらいの大きさになってしまって。なんて大変なことを提案したのだろうと後悔しました」
外側でガードする方法ではダメなことに気付いた伊部氏は、段階的に衝撃を吸収することを思いつく。徐々に衝撃を和らげていくのだ。しかしここにも大きな落とし穴が。強度を高めなくてはいけない主たる部品は数十種類。そのすべての強度を同一にしようとしても、加工精度には限界がありどうしても誤差が生じる。そして、壊れたパーツを強化して再度、実験を行うと今度は他の部分がダメになるという悪循環におちいったそうです。
「もうもぐらたたきと同じ。部品を直せどもうまくいかない。私は3階のトイレの窓から落としたら、必ず階段を使って登り下りをしていたのですが、その回数はゆうに1000回は超えています」
開発に着手してからすでに1年が過ぎていた。この時伊部氏は初めてできないのではとあきらめかけたそうです。ところが意外なシーンからヒントがみつかったそうです。ある日、公園で昼食をとった後、ベンチに腰かけて休んでいた。そこに小さな女の子がやってきて、まりを付き始めた。その瞬間、伊部氏の頭の中で浮かんでいる時計が浮かんだそうです。
「そうだ。時計の外部は壊れても、浮いていれば中身は壊れない。何段階かで衝撃を緩和する後続にして、最後の部分が浮いていれば衝撃はそこに伝わらないはずだ」
実際には中身を浮かすことはできないので、なるべく近いかたち、つまり点で支える構造にした。発想が転換されると、これまでの苦労がうそのように開発はスムーズに進行した。昭和58年4月12日、G-SHOCKの第一号が発売された。キャッチフレーズは「衝撃に強く、振動に強い、タフなアウトドアウオッチ」であった。
当初は日本では全く売れなかった。アメリカのCMでアイスホッケーのパックに見立てたG-SHOCKをスティックで売っても壊れない、という手法でタフさを訴求していたのだが、ある番組でそれが本当かどうかを検証することになったのだ。しかし、それだけでは物足りず、トラックで引く実験も実施することに。もちろん、いずれの実験でも壊れなかったのである。この番組を機に、アメリカでG-SHOCKの人気が大ブレーク。そして、それが日本にも飛び火したのだ。